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この6年間を少しずつ振り返って行きたいと思います。
少しナルシシズムが入っちゃうかもしれませんが、ご勘弁を。
2000年5月。
インターネットというのがどうやら凄いらしい。愛読書裏モノJAPANにも毎月のようにインターネットがらみの記事が掲載されていた。
やってみたかった。
と、言うものの、パソコンを買うお金がなかった。
当時、私は仕事を辞め、小説新人賞応募浪人の状態。収入は妻頼み。今でいうニートと変わらない。その新人賞も少し賞に絡んでもそれだけで食っていけるようになるほど簡単な世界ではなかった。書く意欲も失っていた。書きたいという衝動にかられるようなことがそもそもなくなっていた。
インターネットがきっかけになるかもしれない。
漠然とだが、そう思っていた。
その思いは引きこもり気味だった私を、電話帳配達のアルバイトに応募させた。電話帳を交換するというアルバイトである。
当時乗っていた20万円で買ったボロボロのカローラに積めるだけ電話帳を積み、地図に従い、電話帳を配達する。そんなアルバイトを一ヶ月近く続けた。
6月になり、もらったバイト代でパソコンを買った。
安くて壊れやすいと評判のSOTECの一番安いのを、大型家電ショップの店長をやっている弟に頭を下げ、更に安くしてもらった。
富士通のSE会社に行っていたなんて、昔の昔。クリックからわからなかった。ドットがピリオドのことだと知ったのもトラブルでサポートセンターに電話した時だった。
それでも嬉しくて、朝から晩まで、パソコンを触った。本が買えなかったので、図書館で、片っ端から関連の本を借り、読んだ。
インターネットはまだブロードバンドはなく、11時からはじまるNTTテレホーダイと、無料ブロバイダーライブドアで、とにかく料金を安くおさえた。
お金が欲しかった私は懸賞サイトに応募したり、自分の過去の小説の受賞作を掲載したホームページを作ったりしたが、そんなことで収入なんかになるわけがなかった。
7月、裏モノJAPANにネットオークションで儲けた人の話があったことを思い出し、自分の身の回りのモノを出品してみた。
当時、まだヤフオクは全て無料。今考えると無料でなかったら、はじめてなかったかもしれない。
昔私が書いた番組の台本が16000円にまで競り上がり、売れた。
そんなもの値打ちがないと、引越しのたびに捨てていたが、思い出も必要と残していたものの一冊だった。
8月にスキャナーを買おうと思った。それまでは数千円のトイカメラでやっていたが、画像がよくなかった。当時はまだスキャナーの方がずっと格安だった。
妻が大切にしていた松任谷由実のパンフを提供してくれた。
それが軒並み3千円前後で売れ、購入資金ができた。そのお金で9000円ぐらいのスキャナーを買った。
意外なものが高値で売れていくのが楽しくて、片っ端から、自分のまわりにあるものを出品した。
壊れていて捨てるしかない状態のワープロまで売れた。
少しこづかいはできたが、売るものがなくなってきた。
ちなみに当時、私の家庭環境というと、妻が保険の営業で働き、保育園に通う子供が二人。住んでいるところは、父が所有する空き家になっていた築30年のマンションに居候の状態。家賃を払えとは言われていたが、親子の甘えで払っていなかった。だいたい一年も家にお金も入れてなかった。
妻に頼んではじめた小説応募の背水の陣の約束の期間も過ぎてしまっていた。
引きこもり気味だったのは、誰かに会い、「何をしてるの?」と訊かれるのがイヤだったからかもしれない。自分のやっていることにちょっとでも否定的なことを言われるのが恐くて仕方なかったということもある。
最低。
才能を信じてくれていることを言いことに妻に完全に依存状態だった。もしかして妻も才能があると思っていたのではなく、そうせざるを得なかったのかもしれないとも思う。
8月下旬、仕入に行けばいいんだということを思いついた。
売ってる値段よりも高くなるものを買えばいいだけじゃん。
当時は「せどり」なんて言葉も浸透しておらず、ノウハウなんてものもない。こんなことを思いついて実践している人が世の中に他にいるということも想像しなかった。
そして私の古本屋めぐりがはじまった。